「光陰矢の如し」という格言があるが、まさにこの28年間の卓球協会の歩みを表している様な気がする。いろいろな事があったが、今にして思えば「あっ!」という間に年月を経過した感が強い。
学校を借り入れ、手作りの運営をしていく事を全員で誓いあい、1986年12月に八王子市横山第一小学校・上館小学校で、第1回八王子市総合団体卓球選手権大会が開催された。参加者も200名を越える盛大な大会であったが、この大会開催で役員一同が大きな自信を持った。
登録者数の当初200人から1年後の1987年には400人を越え、八王子市教育委員会の公認団体として、体育館の年間使用が認められる様になった。また、1989年より登録者500人体制となり、その中で要望が多かった点は、著名人を招き「婦人」の卓球協会を開催して欲しいという事であった。
1986年、名誉会長 橋山国雄(元市議)、会長代理 対間康久(元市議)、副会長 小杉皖一、渡辺久美子、他男子役員12名、女子役員8名で八王子市卓球協会が設立された。
設立された目的は、八王子市民の中で1人でも多くの人に、卓球の素晴らしさを理解して頂き、卓球人口を増やしていく事。そして1人でも多くの市民に、いろいろな全国大会に出場してもらう事、の2点であった。この2つの柱は現在まで変わる事なく受け継がれている。
設立当初は、八王子で公認された卓球団体が、2つになった為試合の際にも、体育館を確保する事で四苦八苦した。こんな時は労をいとわず女子役員が手分けして、「教育委員会」や各小中学校へ出向き、何とか体育館を確保してくれた事が現在の卓球協会の基礎をきずいてくれたと確信している。
また、1997年には、役員改選により、名誉会長に黒須隆一(元八王子市長)会長に対間康久、副会長に山田茂、今井幸雄、渡辺久美子、そして理事長に藤原格、副理事長に是澤紫津子、小林成美ほか役員12名で新しい10年のスタートを切る事となった。この10年は、いろいろな大会の見直しを行った時期といえよう。登録チームからの要望に答え、今迄トーナメント主体で行っていた大会を、すべて3~4人による予選リーグを行い、その後に、1,2,3位トーナメントに入るように変えていった。
その年に文大杉高の中野茂先生、翌1990年より前田幸子選手、佐藤恵理子選手(日産)、顧万雲選手など有名選手を招き、年1度講演会を開催している。協会設立当時は、個人戦として八王子市硬式卓球選手権大会と、八王子ダブルス・リーグ選手権大会を実施した。その後、1992年に市外選手も参加できる八王子市オープン卓球選手権を開催し、誰でも出場できる大会と、市民およびそれに準ずる人が出場できる大会に色別した。この八王子オープン卓球選手権は例年盛大な大会となっており、八王子及び近郊の強豪選手による対戦は役員としても、大変興味深いものとなっている。
また、2004年2月に第1回ニッタクダブルスハピネス杯卓球大会(近郊の家庭婦人の大会)が開催された。八王子市卓球協会の婦人部(安藤美江部長他)が企画案し、参加者も300名を超える盛大な大会となった。これらの大会で”せっさたくま”した選手達は、ここ28年間で東京代表や近県の代表として、全日本の各種大会で活躍している事は、大変喜ばしいことである。
以上が簡単な卓球協会の略歴ですが、沿革史と称するには余りに乱文であり恐縮する次第でありますが、28年間の歩みを簡単に紹介したとしてご理解頂けたら幸いと考えております。